(7)「心の居場所フリーハウス」との出会い

 ぽれっとがスタートしたのが2001年の春。場所は裁判所近くにある市営住宅の集会所である柏木集会所でした。当時は1階で作業所の「デイサロンぽれっと」、2階では事務所と併設して不登校の子どもたちの居場所「フリーハウス」が同居していて、数名の小中学生が通ってきていました。フリーハウスはもともと他の場所で別の団体が行っていた事業を引き受け、引っ越してきたので、子どもたちにとってぽれっとのメンバーは見慣れない未知の存在でした。特に何か一緒にすることはありませんが、同じ建物にいるのですから、当然お互いの利用者には自然と接点が生まれました。

ぽれっとのちょっと強面の知的障がいで言葉のない青年はたびたび、勢いよく階段を駆け上がり、ドヤドヤと入ってきて、気に入った人に接近して耳を触るのがあいさつ代わりでした。ある日、いつもの通り2階に入ってきて耳を触ろうとして、一人の小学生が大切にしていたゲームのケースを踏んで割ってしまいました。そのことで、その子のお母さんから

「2階の入り口にカギをかけて、勝手に入れないようにしてほしい」と苦情を言われました。

私たちは、本来であればまったく接点のなかった両者が戸惑いながらもお互い自然に近づき、付き合い方を学んでいく様子を感じていたので、お母さんからの申し出はお断りしました。ほどなく、両者は当たり前の存在になり、トラブルもなくなりました。

また、高校を不登校中でフリーハウスに来た子がぽれっとでの活動に興味を持ちボランティアスタッフになったこともありました。のちに定時制高校に復学し、1 年以上のボランティアを経て自信をつけて普通のアルバイトを見つけて巣立っていきました。のちに、市内でヘルパーとして頑張っていると風の噂に聞きていたのですが、パーソナルサポート事業ができたときに相談に来て再開することもありました。

その頃通ってきた子どもたちは、それぞれ定時制の高校に進学したり、知らないうちに学校に戻ったりして、一人また一人といなくなりました。入れ替わるようにして普通高校を卒業して就職できずにいた若者や高等養護を退学した若者など今のオアシスの初期メンバーがやってくるようになったのです。 重度の障がいを持つ人たちの通所としてスタートした「ぽれっと」でしたが、従来の福祉的な内容である指導、訓練ではなく、スタート時点からいろんな人たちとの出会いや付き合いがある「生きていく場所」がそこにはありました。私は、ぽれっとのメンバーもフリーハウスの子どもたちも、そしてその後オアシスにたどり着いた人たちも、指導を必要としているのではなく、単に自分でいられる「居場所」を必要としていただけだと思うのです。そこに障がいがあるとかないとかは関係ないし、また克服したり乗り越えたりするべき課題やハンディを抱えていたわけでもありません。ただ自分を見つける居場所を必要としている人たちが集まり、自分もまた確かにそんな一員だったと思うのです。自分でいられる居場所の原点が柏木集会所にあったなぁと思っています。