(6)障がいのある大人との出会い

 2001年から釧路養護学校高等部の第1期生他12名を迎えての「デイサロンぽれっと」を開所するにあたり、事前に学校の様子を見せてもらおうと養護学校実習に行くことになりました。そもそも小学部に自分の娘が通っている私にとって養護学校はなじみのある場所でしたが高等部の授業を見るのは初めてでした。そこで見た光景はある意味私に大きなショックを与え、今でも忘れることのない教訓をもたらしてくれました。

卒業を控えた高校三年生は当然18歳という年齢です。私は障がいを持つ小学生くらいまでの子どもたちとは多く接したことがありましたが、青年期の方と接する経験がなかったので18歳の方をどう迎え入れたらよいのか?という思いで、学校に出かけました。ところが、目にしたのはまるで小学生や幼児の子どもを扱うかのような対応でした。例えば、作業学習の時間にハサミでヒモを切るたびに「えらいねぇ」と声かけをされ頭をなでられていて、先生は「この子はえらいねぇと言われないと機嫌が悪くなるんです」とにこやかに説明してくれました。私は、違和感でいっぱいになりました。自分の子どもが18歳になってそういうことをされていたらどう思うか?やっぱり嫌だと思ったし、頭をなでられないと機嫌が悪くなるような18歳って何だろう?この人の誇りとか自尊意識って何なのだろうか?と深く考え込んでしまいました。

年末にはぽれっとに通う予定の方たちを招いてクリスマス会をした時に、先生の付き添いで来た方は無差別に周囲にいる人を叩いていました。先生は「いけないよ」と繰り返し声をかけるだけで、叩かれっぱなしでした。半径2メートルほどには誰も近寄れない状態でした。たくさん伝えたい気持ちや思いがあり伝える力があるのに、どうしてこんなに表現が下手なんだろうか?私はまたまた考え込んでしまいました。さらに、ぽれっとが始まって間もない頃に給食でバイキングをしたときのことも忘れることができません。普段、お皿に盛られた給食を何でもきれいに食べる方がバイキングで「好きなものをとって、食べていいんだよ」と言われてもまったく自分の好きなものを選ぶことができませんでした。

確かに知的な障がいがあることで、成長発達は遅いでしょう。精神的な年齢も低い部分があるかもしれません。でも、年端の積み重ねは18年生きていれば確かに18歳です。私はやっぱり18歳として扱われるべきだと思いましたし、本人も年相応に扱われ尊重されることの積み重ねで自覚や自尊心が確実に身につくと思いました。知的障がいだからできないのか、周囲が配慮できないからできないのかは表裏一体です。知的障がいがあるからこそ、その人らしさを尊重され、正当に扱われることが重要だと痛感した経験でした。 当時そんな発信をしていたメンバーも今では意思を伝えるのが上手になりました。必要な支援は単純な手厚さや技術ではなく、根底に一人の人間としていかに尊重できるのかといことがあります。そして、それが支援者の自己満足ではなくその人に届くことが大事なのだと思うのです。