(5)懐かしの「中田マンション」
初代の本部は浦見の旧幼稚園だったことはお話ししましたが、次の本部があった「中田マンション」も伝説をたくさん秘めた地です。この地を訪れたことのある人は今となっては貴重な存在です。発祥の地である幼稚園は取り壊され、小さな教会になったのですが、次なる本部であるこの「中田マンション」も今は取り壊されて跡形もなくなっています。
浦見の旧幼稚園は 1999年6月から1年とちょっと使っていましたが、2000年の途中で、退去することになりました。さて、ここで非常に大きな難問が私たちにつきつけられました。これまでやってきたことを引き継ぐための次なる拠点を探さなくてはならなかったのです。
当時、やっていたのは私が居座りみんながたまるサロンスペースと定期的に実施していた親子サロンです。両方を継続するとなるとかなり広いスペースが必要で、借りるあてもなく資金も乏しくかなり困りました。
そこで助けてくれたのが、長らく2ぽれの利用をしてくれていて(今もクローバーでの日中一時支援を活用している)Kさんのお父さん。会社関係で所有していたマンションを格安で貸してくれることになったのでした。地理的にも新富町で中心部に近く、駐車スペースも路上駐車も含めて多少余裕があります。ただし、間取りは1階の居間と2階の2部屋だけの小さなものでした。それでも、贅沢は言えません。敷金も礼金も免除ですぐに貸してもらいました。親子サロンの方は発祥の地、目の前の日進小学校(今の釧路小学校)空き教室を期限付きで借りることができました(この空き教室を借りる時にもなかなか苦労をしました)。
中田マンションは古い物件でした。個人的には古いアパートの雰囲気がとっても好きでしたが、好みの問題を通り越して様々な不都合がありました。まず、非常に寒いこと。冬には水道を落として帰っても、朝には凍っていました。私たちが事務所についてまずやるのが「水道管にタオルを巻きつけ、お湯をかける」ことでした。それでも、部屋が暖まるまで水が出ないことも多くありました。ホーマックから大きなポリバケツを買ってきて、水をため、ひしゃくで表面の氷をカンカン叩いて割ってから使ったものです。だってまずは水道管にかけるお湯を沸かすための水が必要だからです。なかなか出ない日には途中でお隣に越してきた作業所さんにトイレを借りに行きました。当時、就労先や行き場を失った若者たちの居場所のようになっていました。のちにぽれっとが誕生するきっかけになった若者たちとは毎日実に楽しいエピソードをもたらしてくれました。
①大鍋カレー事件:みんながお昼にカレーを作りたいと言い出し、鍋がなかったのでお隣のぴーぷるから借りることに。貸してくれたのが町内会などで使いそうな大鍋。ひと箱 10人分を作るはずが、知らず知らずのうちに鍋のサイズに合わせてカレーが増えていき。出来上がったのは大鍋いっぱいのカレー。食べても食べてもなくなりませんでした。
②逆回りの珍麻雀大会:週末に水道が凍ってしまうことを防ぐためメンバーが週末に中田マンションに泊まることを買ってでてくれました。宿直のために持ち込まれたのは麻雀セット。昼間から 2階でじゃらじゃらやり始めたので、覗いてみるとなんだかヘン。よくよく見ると回りが反対?!聞けば数えられるのはH君だけ。いつもH君が一人勝ちしていたのは気のせい?
③PTAデビュー:ぽれっと準備室は社会活動にも積極的。私の次女の小学校のPTAミニバレーチームの練習に頻繁に参加。お母さんたちは練習相手が出来て大喜び。お母さんたちに「この前、生協でみんなに会ったよ!」なんて声をかけられることもありました。ある時は長女の養護学校PTAの押し花教室にも参加。きれいな押し花の作品も完成。
などなど、中田マンションに併設していたこの「ぽれっと準備室」は今思うと、本当にザックルの原型みたいな感じです。いつでも「自由なたまり場」って本当に大事な存在だよなってしみじみと思うのでした。
2001年4月から柏木集会所に移ったので、わずか半年余りの期間ではありながらもたくさんの思い出がありますが、この情緒あふれる中田マンションは2003年9月26日午前4時50分に発生した十勝沖地震(釧路は震度5強)によってなんと崩壊してしまったのです。 でも、中田マンションは法人としての発祥の地であり、登記簿謄本のはじめての住所です。