(33)「2005年2月 仙台」~ネットワークサロンの原点を振り返る出会い

 宮城県沖で大きな地震が起き、日本はこれまでにない大変な状況になっています。思い起こせば私にとって仙台は思い出深い出会いの地です。2005年の2月に縁あって仙台市の総合相談機関(アーチル)の療育セミナーの講師で声がかかり、初めて仙台に行き釧路の取り組みについて話をしました。ちょうどその年に運よく市役所の助成金で職員研修の予算がついたため、現場スタッフも5〜6名一緒に行きました。仙台に着くと、空港へのお迎え、地下鉄代からお昼代(仙台名物の牛タン定食)など何から何まで現地の方にお世話になり、研修一同その待遇ぶりに驚くやら、嬉しいやらだったことを思い出しますが、その仙台で出会ったのが、その後に函館の侑愛会の診療所に転職したドクターでした。

自閉症が専門であるドクターは、イギリスでTEACCHプログラムの勉強をへて帰国直後で自閉症療育に関する講演をしました。その後に私が釧路の地域づくりの講演という2本立てで、何とも言えない両極端な組み合わせだなぁと思っていました。なぜなら、自分たちの生活支援や地域づくりの発想や取り組みはTEACCHプログラムなどの自閉症の専門的な療育の立場の人からはどちらかというと理解されなかったり、否定されたり、責められたりすることも多く、あまりいい印象を持っていなかったのです。ところが、私の講演後にドクター夫婦がで嬉しそうに私の方にやってきて「この春から、函館に行くことが決まっているのですが、函館にも話をしに来てくれますか?」とおっしゃいました。その意外な申し出に驚いたのですが、ドクター夫婦と話すとすぐにお互いの思いや願いが共鳴し合うことが分かりました。実はTEACCHプログラムの理念とネットワークサロンの理念は根本的にはずいぶんと共有するものがあったのです。それまでは独特の手法のみにとらわれていただけで、「どんな人も自分らしくいきいきと」「そのための相互尊重、理解、そして対等なコミュニケーション手段が保障されるための地域づくり」という根本的な発想は同じなのです。その根底のつながりをすぐに感じ取り、私に声をかけてくれたドクターとの出会いはその後、いろいろな交流や気付き、発展を見せました。

翌2006年には予告通り函館の自閉症協会で講演に呼んでもらい、それを機に職員研修(スタッフ8名同行)で施設見学に行きました。その際、函館の自閉症児のお母さんたちとの出会い、その後そのお母さんたちがサロンを見学に来て、放課後支援のNPOの立ち上げへとつながりました。函館はおしまコロニーで障がい児の療育では超有名ですが、函館での意見交換の場ではぽれっこのスタッフが自閉症の子を持つお母さんたちに囲まれ、「放課後に子どもたちが通える場があるの!」「送迎もしてくれるって!」「毎日行ってもいいの?」「希望に応じて、朝早くとか、休日にも預かってくれるって!」とびっくりされ、ひたすら羨ましがられ、その反応にスタッフが「ぽれっこみたいなサービスって当たり前じゃなかったんですね…」と逆にびっくりしていました。釧路だけを見ているとそれが当たり前に思えるけれど、ちょっと広く見渡してみたり、他地域との交流や出会いの機会があったりすると、その重要性や意味について、また今後の課題や役割についても改めて気付くものです。

今の釧路の姿はこれまでのたくさんの人たちの発信や協働や努力の蓄積をもとにできたものです。そして、今の担い手にはその蓄積作業を引き継いいく重要な役割があります。今は連日報道される被災地の様子に「自分も何かしなくては」という焦りや何もできずに日々暮らす自分の現実に後ろめたさを覚えることもあります。でも、ネットワークサロンはずっと地域とともに「どんな人でも自分らしく生き生きと暮らすことができる地域づくり」を理念に目の前にいる一人ひとりに向き合ってきました。だから、今もこれからもその原点を大事にして日々の仕事に今まで通り向き合い、少しだけ広い視点を持つことが重要なのではないかと、仙台との出会いを思い出しながら、考えました。