(26)いんくるのスタート

今は相談支援事業所の「いんくる」ですが、もともとは2005年7月に北海道の独自事業としてスタートしたことが始まりです。事業名は「釧路圏域障がい者総合相談支援センター事業」。この事業はまだ自立支援法ができる前に北海道が全国に先駆けて相談支援の重要性を認識して取り組んだものです。その背景には、その前に2004年から行われた北海道障害者地域生活支援体制検討会議という白熱した議論がありました。

当時、北海道庁の障害者保健福祉課の課長さんは厚生労働省からの出向で来ていた方でした。そして主幹は数年前まで釧路支庁の社会福祉課長だった人でした。お二人はとても北海道の福祉施策づくりに熱心でした。道庁の主幹には釧路にいたころから、大変お世話になり、措置施設時代のグループホームポレストの立ち上げも全面的に応援してくれましたし、釧路地区重症心身障害児(者)を守る会の立ち上げも一緒に取り組みました(それが、今のはばたきの実現につながっています)。また、自主事業で取り組んできた子育てサロンの「親子の家」を国の補助事業の「つどいの広場事業」にするため全面的に動いてくれました。

そんな熱心な行政マンに支えられて行われた会議ですが、通常の行政が主催する会議とはちょっと違っていました。まずは、きっちり月例会のように毎月行われる。しかも1回の議論が熱いし、長い!軽く3時間は超えました。それだけ、みんな真剣に「北海道でどんな障がいがある人でも地域で暮らせるためには、何が重要なのか?」ということに向き合っていたのです。数回行われたころに、いつも釧路から参加する私が「どうして、北海道の会議なのにいつも札幌でやるのですか?オール北海道なら地域でも開催してください」と意見をしたら、2ヶ月後には釧路で会議をやってくれました。そして、毎年のように「合宿」による会議も定例となりました。午後から会議をして、夕飯を食べて夜の部の議論があり、さらにオプションで夜中の会議(こちらは飲みながらとなりますが)で気付いたら朝になっていて、どこかの宿泊施設では朝食作りのおばちゃんに食堂から追い出されるようなこともありました。そして、また次の日の午前中にも議論(この頃にはほとんど思考回路が働いていない委員もずいぶんいましたが)。メンバーには長く入所施設の運営に携わっている人から当事者や市町村の行政の人、相談支援や地域支援に携わる人たちなど多様な立場の人たちがいましたから、かなりの激論になることもありました。

そんな委員会の議論の末、地域支援体制をつくるためまず必要なものは「何でも受け止めてくれる相談窓口」だという結論になったのです。それも敷居が低く、どんなことでも気軽に相談でき、24時間365日いつでもアクセスできる柔軟性が求められること。また、個別の相談だけではなくそこから明らかになってくるニーズを地域づくりに反映させて、いろいろな人たちと連携しながらネットワークや資源をつくっていく役割も果たすこと。そんな経過で道の独自事業として各管内に1カ所ずつ「障がい者総合相談支援センター」を設置して、そこから地域生活支援体制づくりを進めようということになったのです。

この議論をしているときに私はまさにネットワークサロンそのものがずっとこうしたセンターの役割を無意識的に進めてきたことに気付きました。圏域センターは障がい者のセンターですが、サロンの方がそれより対象は広いのですが、目指す姿や仕組みはかなり重なりプロポーザルの基本理念には法人の趣旨書をそのままつけたのです。それから数年たった今、ずいぶんと相談支援の重要性は分野を超えて広がっていると感じています。たとえ、相談支援事業所としての看板がなくても事業運営の中で「相談を受ける=色々な人たちのニーズを聴く」という作業は福祉や地域づくりの基本だと思っています。