(21)そういえば受賞した「博報賞」
2004年秋に初めて社会的な「賞」をもらうという出来事がありました。大手出版社の「博報堂」が母体の教育財団がすぐれた教育実践を対象に表彰する「博報賞」です。
きっかけは当時、釧路教育局にお勤めの中学時代の陸上部の恩師の先生からの電話でした。博報賞という賞があり、教育委員会が推薦をする仕組みになっていること、これまで学校の実践を推薦するのが一般的だが最近は学校以外の地域実践が注目されているから、ぜひ推薦したいということでした。
私は受賞などということにはまったく興味がなく、どちらかというと目立つようなことは避けたい気持ちが大きかったので、「とんでもない、他にも推薦する団体がたくさんあるでしょう。遠慮します。」と、すぐに断りました。しかし、先生の次の言葉でこの一見謙虚な態度はいとも簡単にころりと変わったのです。
「副賞が100万円なんだよ。」
前々回までのシリーズでお分かりの通り、お金のことで苦労が続いた数年間。苦肉の策の夢債券で窮地は切り抜けホッとしたのも束の間、まだまだ不安定な財政基盤、そして実際にもお金はいつも足りなかったのです。私はあっさりと態度を翻しました。
「ぜひ、お願いします!」
先生は私がまるで100万円をもらえるかのような態度の急変に慌て、実際に推薦したからといって全国から推薦団体が集められるので受賞する可能性は低いのであまり期待しないでほしい、つい数年前に札幌の似たようなNPO法人が受賞したので、それも影響するだろうと、付け加えました。私はもちろん、実際にもらえる可能性は低いと思っていましたが、正直なところ「色の付いていない100万円はほしいなぁ~」と切実でした。
そして、活動についてあまり把握していない先生に伝えるために自画自賛?!の推薦文の原案となる資料を作成し、数ヶ月後に先生から興奮の電話がかかってきたのでした。「受賞したよ!いや~おめでとう。推薦はしたけど、かなり難しいと思っていたから、すごいよ~。」後にも先にも推薦した先生が受賞を一番喜んでくれました。
しかし、100万円はよかったのですが、受賞には「格式や儀式」という私のもっとも苦手とするおまけがついてきました。授賞式は東京駅近くの古い由緒正しい建物を活用した会館で行われ、階段には赤いじゅうたんが敷かれ、入口では筆で書く参列者名簿。さらには金屏風の前で受賞式に記念写真撮影。式終了後には財団理事長の招待による祝賀パーティー。前文部科学大臣やおそらくは地位や名誉のある偉いと思しき人たちと豪華なご馳走(一緒にしたら怒られるか)が並んだのです。パーティーでは記録用のビデオカメラが回り、後日、豪華な記念写真とビデオテープが送付されてきました(写真は一度開いてすぐに閉じ、ビデオは一度も見たことがない)。
そうした慣れない場から解放され、ほっとしていた数日後に某地元新聞が共同通信経由で情報を聞きつけ、何の取材もないままに共同通信配信の内容と写真をいきなり大きく報道したのです。共同通信が要求した写真がなぜか白黒でサイズやポーズ指定のパスポートよりも厳格なもの。しかも写真屋さんで撮影が条件。忙しい中で写真屋さんへ駆け込み撮った写真はひどく表情が硬く、まるで指名手配中の犯人のような顔つきだったのです。それを地元新聞が何の取材もないまま掲載したのですから、驚くやらあきれるやら。そして恥ずかしいやら。
そんなことで、100万円につられた受賞は私にとっては何とも苦い経験となり記憶のかなたに潜んでいるのです。参考までに受賞の内容は「教育実践」に対してなので、親たちの力も取り入れながら、ぽれっこを中心とした障がい児に様々な地域教育の場を提供したという理由でした。賞金は子どもたちの事業所でおもちゃや備品などの購入と法人の運営費にありがたく活用しました。