(15)「PASS」誕生秘話
節目の年である2003年春。支援費制度のスタートにより、それまで作業所で行っていたぽれっとは知的障がい者デイサービス(今では生活介護)になり、自主事業であったぽれっこは児童デイサービス(今では放課後等デイサービス)になるなどそれまで実施してきた事業を制度に移行できたのが大きな特徴でした。そんな中で今では看板事業の一つでもあるヘルパー事業「PASS」は当初、実はスタートする予定がなかったのに、なぜかできてしまった不思議な縁をもつ事業所なのです。
学生の派遣事業である「ゆうゆうクラブ」は行っていたものの、プロのヘルパーを配置して事業を行うイメージができなかったのと、ぽれっとやぽれっこの準備で精いっぱいで新規に居宅介護の事業の準備をする余裕もありませんでした。そんなとき、札幌の知人から紹介されて教育大学岩見沢校の大学生がボランティアにやってきました。障がい児者に寄り添う支援を志し、在学時代にヘルパー資格もとっているほどやる気がいっぱいの学生さんは1週間ほど泊まり込みで滞在し、帰り際に履歴書を差し出しました。話を聞くと、ヘルパーとして働きたいとのこと。居宅介護事業所を開設する予定がなかった私は「やるとしたら、0からやることになるけど、それでもいいかい?」と聞きましたが、力強く「やりたいです!!」との返事でした。それまで、利用者のニーズの生みの親によって事業は生み出されてきましたが、若いやる気のある学生さんからのニーズで始まる事業も悪くないと思い、その気持ちに応えることを決めました。
そこで、居宅介護事業所を開設するための準備を始めたのですが、すでに3月にさしかかるような時期になっていました。調べていくとどうやら「サービス提供責任者」という人が必要であることがわかりました。資格要件などはっきりしないまま私か誰かがやればいいくらいに思っていると、ぎりぎりになって1級ヘルパーか介護福祉士の資格が必要なことが判明したのです。私もそんな資格を持っていないし、他に持っている人もいましたが、他の事業の必要人員になっています。慌てて、ヘルパー養成をしている釧路専門学校に「誰か、1級ヘルパー養成研修を受けた人でいい人はいませんか?」と泣きつきました。そうして数日後、紹介されたのが閉山した炭鉱を退職した40代後半の元炭鉱マンでした。私は炭鉱とは業務内容から待遇まであまりにギャップがあることや年齢も心配でしたが、とにかく資格要件が合う人がいないと事業所をスタートさせることができないので、電話で日時を約束して、すぐに事務所に面接に来てもらうことにしました。スーツ姿でやってきた元炭鉱マンは実年齢よりもずいぶんと雰囲気が若く、持ち前の柔軟でフレンドリーでした。なにしろ事業所のスタートがかかっていたのですぐに採用が決定し、無事に4月1日から居宅介護ステーションPASSがスタートしました。
PASSはPersonal Assist Service Stationの頭文字をとって名付けられました。ボランティアの学生さんから端を発し、偶然に紹介されてきた元炭鉱マンが加わり、その後、釧路市が実施していた未就労の若年者への就労支援事業をきっかけに高校を卒業したばかりの若手も加わるなどヘルパーの数も増え、また仕事の依頼も増えていきました。当時から外出の付き添いが主でしたが、家族に代わってヘルパーさんが付き添ってくれるこのサービスの普及は障がい児者とその家族の生活の可能性を大きく広げる貴重な存在となっています(介護保険には移動支援という概念はないのです)。
思い返すと、あの時に「押しかけボランティア」に来てくれた学生さん、元炭鉱マンを紹介してくれた専門学校、そして即決してくれた元炭鉱マンが重なって偶然にできあがったPASSでしたが、その誕生は強い必然性も感じます。いつでも、必要なことはどこからともなく集まってきて形になるものなのです。