(10)ぽれっこ誕生~「つながり」の重要性

一時は法人内で6ケ所、市内では50あまりとなった放課後等デイサービスですが、2002年の春にたった一人のためにスタートしました。それまで通っていた保育園を卒園して、就学するに際してお母さんは放課後に過ごすところを探していました。母子家庭でお母さんが働いていたからです。学校は自宅から離れた情緒学級のある小学校に決まり、自宅エリアの児童館に利用の相談に行きました。ところが、児童館に「預かるのは無理だ」と断わられてしまいました。基本的に児童館は自力で学校から児童館、児童館から自宅と通える程度の障がい児しか対象にしていなかったからです。

お母さんは当時実施していた親子のフリースペース事業を利用していたこともあり、その事情について相談してくれました。かねてからそうした困難を持つ家庭が当然出現することは予測ができていました。私自身も、障がいのある子どもがいながら働けるのはみてくれる親がいて、送迎にも自分が職場を抜け出しても大丈夫なほど自由がきく立場にいるという極めて条件がそろっているからで、通常の会社勤めをするのはかなり困難でサポートが必要不可欠だろうと感じていたからです。私はお母さんが働けなくなるような状況だけは作ってはいけないと思いました。子どもに障がいがあるという理由だけで働くことをやめざると得ない状況は親にとっては理不尽だし、その理由になってしまう子どもの存在も社会的に否定されることになるからです。

お母さんは私たちに相談をしてくれただけではなく、理不尽さを率直に児童館の担当である市役所の児童家庭課の課長さんにも訴えに行きました。お母さんはこのときに極めて冷静に正当に課長さんにこう訴えました。「児童館では対応できないから、断られるのはわかります。この子のことを考えても苦労することも予想されます。でも、では私たちはどうしたらよいのですか?私はこのまま仕事を辞めて、生活保護を受けるしかないのでしょうか?」この率直な訴えに課長さんは私たちにこれまた率直に連絡をくれました。「サロンで何とかしてもらいないだろうか?」課長さんはお母さんのストレートな思いを受け止めて、ストレートに頼んでくれたのです。私は同時にお母さんからも事情を聴いていたので、これはみんなの思いが一致している今このタイミングで放課後の場を実現するしかないと思いました。たった一人のことですが、たった一人のためなら何とか工夫すればできるのです。

あの時、お母さんが諦めてしまっていたり、課長さんを激しく攻撃していたらぽれっこは存在しなかったでしょうし、課長さんがお母さんの思いを想像せずに「児童館は無理」と門前払いをしていたり、私たちに素直に「やってくないか」と頼んでくれなかったらすんなりと実現しなかったかもしれません。また、頼まれた私たちが「何で行政がそんなことができないのだ」「児童館が受け入れればいいのだ」と責任追及をして、自分たちに何ができるか考えなければ、これまたぽれっこはなかったのです。ぽれっこが一人のニーズからこうして実現した背景には関係した人たちの思いの共有があったのです。一人一人が相手の立場を慮る想像力と、批判したり遮断したりせず、率直で気持ちを受け止めるコミュニケーションがぽれっこを誕生させました。こうして「たった一人のきっかけ」によって事業が始まるというのはネットワークサロンにとっては当たり前のことですが、それは単に「たった一人のため」という姿勢が大事なだけではなく、その気持ちや立場を理解しようする「つながり」が同じくらい大事だったことを改めて感じているのです。