(23)幻のレストラン?「ハーバー」

今では知っている人はほとんどいませんが、2003年10月から2005年6月までネットワークサロンはレストランを経営していました。その名も『ハーバー』。西港の中にある港湾福祉センターという建物に併設されたけっこう大きなレストランです。(今は、閉鎖され取り壊されています)

2003年からスタートした支援費制度によって事業所は大幅に増えて、それに伴ってサービス中に提供する食事の量がどんどん増えて配食センターのようなものがあったら便利ではないかということで出会った事業でした。思い起こせば、ネットワークサロンの事業拡大の裏側にはいつも大量の食事提供の歴史があったのです。

最初はそうした裏方を雇うような余裕がなく、ぽれっとは自分たちが活動の中で作ったり、人数が増えていったときは我が家の母に作ってもらったり、ぽれっこの前の長期休暇の際には自分で作ってみたり、逆にぽれっとの仕事としてお弁当を作ってもらったり。ぽれっとにはやがてパートさんが来てくれましたが、ぽれっこは子育て支援のスタッフが親子の家でずっと作ってくれていました。そして、どんどん食数も増えていったときに新聞広告で知ったのが「レストランハーバー」でした。広い厨房と駐車場、立地条件も各事業所からほぼ中心の位置にあり、運ぶのも都合が好さそうです。そして何より家賃が安いことが魅力的でした。私たちはレストランを経営したいとは思っていませんでしたし、実際に西港の中でいくら安い家賃だとしても採算の合うような商売ができるとは思えませんでしたが、とにかく広い厨房は必要になっていましたし、食事スペースは会合などで使えそうだったので借りることにしました。

ところが借りてみると厨房設備は古すぎて、メンテナンスも悪く、保健所の許可が下りなかったり、条件として課せられた「レストランとして営業する(港湾福祉センターは宿泊施設があり、その朝ご飯や夕飯の提供もしなければならなかった)」ことが予想以上に負担になったり、使用時間の融通がきかなかったり、建物で事件があったり、いろいろとうまくいかずに1年半で撤退することになりました。この経験はよく人に聞かれることの多い質問である「これまでの事業の中で失敗はありますか?」の回答例になってもいいような気もしますが、短期間で撤退はしたもののこれも一つの経験だったような気がします。

それまでの食事作りに携わってきた人たちで「チームライス」(これは知る人ぞ知る内輪のチーム名)を作り、ハーバーと事業所にいる給食スタッフでミーティングをしたり、月1回会員や職員の交流を目的として「食事会」を開催したり、オアシスメンバーの実習がスタートしたり、夢債券を発行した際には購入者に特典としてお食事券を発行したり、ハーバーを舞台にしたエピソードもたくさんあります。

ネットワークサロンの事業の多くは福祉事業(特に障がい児者福祉)で占められているので働いている皆さんも「福祉の会社」と思っているかもしれませんが、設立趣旨や成り立ちからみてもそうではないのです。ソーシャルビジネスが注目され過去に北海道クローズアップでネットワークサロンの活動が取り上げられその代表例として紹介されましたが、基本は地域の課題を主体的に解決するための「地域づくりの会社」なのです。今の姿(障がい児者福祉サービスが多い)は地域に必要とされることを事業として積み重ねていった結果の一つの表現でしかありません。そのプロセスには上記のような一見、福祉とは関係ないような事業の模索もありましたし、同様にしてその延長線上にかつて実施していた子育てカフェや農園、岩盤浴もあります。1年半で事業としては消えてしまいましたがレストランハーバーはネットワークサロンらしさが表れているなぁと思い返してみるのでした。

※この原稿を書いた数年後から、福祉事業も市場化が急激に進んだことの影響を受けて、こうした地域づくり系のモデル事業は法人の再建のためにほとんどは継続できなくなりました。公共性の高い事業を市民事業ベースで維持する難しさを実感しています。