(13)2003年4月支援費制度スタート~会社としての分岐点

2003年はネットワークサロンにとって非常に大きな意味を持っています。今、多くの人たちが働く職場としてネットワークサロンがあるのも2003年にスタートした「支援費制度」があったからです。この制度なくしては今の会社の体制は到底実現しませんでした。

そうした芽は以前からあり、各親の会が中心となって補助事業の作業所で少しずつ通所する場が増え、釧路市単独事業のケアヘルパーなども取り組まれていました。ネットワークサロンも2001年にスタートした作業所「デイサロンぽれっと」を皮切りに、2002年には作業所の補助を3ヶ所分に増やすなで対応していましたが、補助には含まれていない送迎や給食、その他の対応は自前の工夫で行うしかありません。また、年間で補助金が決まっているため途中で利用したい人が増えても、受け入れるほどに運営状況は厳しくなりました。しかも大人の通所はまだ作業所の補助金があるだけましで、障がい児等の学童保育(今のぽれっこの前身)やゆうゆうクラブ(PASSの前身)などはまったく公的な支援がなく、数多くの助成金への申請や法人内のやりくりなどで何とか対応、維持していたのです。

それが、支援費制度によって大きく変わりました。まずは支援を行う主体が法人格さえあればOKとなりました。また、事業メニューに地域の実情に合ったもの(デイサービス、居宅介護など)がそろいました。事業を行うための細かな基準が緩和されて、一定の基準を満たすことができれば、事業所の指定を受けることができます。また、それまで利用は行政に決定権があったのが、障がい者やその家族が「ここを利用したい」と思えば、自分で支給決定に基づいて利用ができるようになったのです。そして、利用の実績に基づいて利用してもらった分だけ(人数や時間によって)、収入が保証されるようになったのです。それによって、必要な事業を必要に基づいて実施して、利用してくれる人がいれば事業が安心して展開でき、具体的な計画をもとに人を雇用したり、事業所を増やしたりできるようになったわけです。事業の展望が持てることで銀行も運転資金を貸してくれることになり、初めて融資を受けました。そうして実現したのが「ぽれっと」「ぽれっこ」「PASS」です。具体的に事業所としてスタートするためには、もっといろんな背景があり、物語があるので、また詳しくは次回以降に紹介しますが、制度がネットワークサロンの取り組んできたことに追い付いてくれた2003年は大きな分岐点でした。その後、2006年には自立支援法が施行され、度重なる改正に困惑することもありますが、「たかが制度、されど制度」。障がいを持つ人たちやそれを応援する地域を作るために道具としてうまく使いこなすのはとても大事なのです。