新しい年になりました
あっという間に2025年が駆け抜けていき、2026年になりました。
11月29日には連続講座の最終回(3回目)を無事に終え、ホッとしていたら、12月8日に青森の地震の影響で、後発地震注意情報があり、不安になる人たちもいたり、改めて防災対策について話をしていたら、12月15日に大雪が降り…と何だか慌ただしい年末でした。
大雪によって釧路市内の一部が停電をしたのですが、私の自宅は直撃を受けました。
夜中に33歳の長女が夜間に使用している人工呼吸器の警報音が鳴り(リチウム電池があるのでしばらくは大丈夫なのですが)、朝方の再度の停電ではオール電化のため徐々に家の中が冷えていくのを感じて、多少不安でしたが、幸いにしていずれも1~2時間で復旧してくれたのでそれほど深刻な状況にならずに済みました。
それよりも法人本部の光回線の電線が雪の重みで断線し、電話もインターネットも使えなくなってしまった方が、大慌てでした。
本部には複数の事業所の電話があるのですが、一本だけ光回線ではなく、通常の電話回線だったらしく、それがとても役に立ったと事務員さんたちは話していました。
インターネットは臨時のWi-Fiを設置してもらい、何とかしのぎましたが、事務電話は年明けまで約半月かかってようやく復旧しました。
普段は気づきませんが、ライフラインが安定していることによって生活が成り立っていることに改めて気づかされます。
自然災害とどう向き合うのか
昨年度は7月のカムチャッカ半島の地震で釧路の広範囲で避難勧告があり、いくつかの事業所では実際に避難することになったことから、避難のあり方について考える機会になったところだったのですが、12月の青森地震と大雪でさらに、いろいろ考えさせられました。
各事業所のリーダーたちと災害時の避難について、いろいろと議論しました。最近では、福祉現場において、個別の避難計画を作ることになっていたりするのですが、どうも「避難するのが前提」なのがちょっと気になります。
私は個人的に地震でも、津波でも、大雪でも、自然の力はどうしようもないものなので、じたばたせずに身を任せたいと思っています。そして、知的にも身体的にも重度の障がいがある長女を連れて、逃げるのはかなり大変だと考えています。
そして、逃げたとしても一般的な避難所では到底、生活はできなさそうだと思っています。
そうなると、親の私としてはじたばたせずに親子で一緒に自然の力に身を任せたいと思うのですが、本人はどう思っているのかはわからないので、その場合の意思決定はどうなるのかな?と考えました。
病気の治療をするかいないかという選択も似ているのかもしれませんが、自分の力ではどうにもならない事態が訪れた際に、どうしたいのか、きっといろいろな思いがありそうな気がします。
法人としては、まずは利用者さん一人ひとりの意向を聞いてみるところからだろうと思っているので、意向調査をしようと思っています。ただ、ご本人の障がいによっては自らの意向を伝えることができない、状況の理解が難しい人もいます。その場合にはどうしたらいいのか?(家族の意向とイコールではないような気がするし、家族が介護をしているのなら、家族の意向も無関係ではない…難しい)など、それを機に大事な議論ができるとは思います。
インクルージョンの難しさ
年が明けて早々に、医療的ケアに関する地域の研修に参加してきました。
数年前から医療的ケア児の地域支援について、国が体制強化をしていたのは知っていました。
初期の頃に道内でケア体制を普及している札幌のお医者さん(札幌の医療法人稲生会の土畠先生)が釧路にやってきた際には、ちょっとお手伝いをしたこともありました。
今回も、土畠先生がまた釧路に来るとのことで、広域相談体制整備事業の一環として研修を実施することになったものです。
研修では先生が最新情報について説明してくれた後に、実際の事例をもとに、地域支援の具体策について多職種でどうしたらいいのか、検討してみるセッションがありました。
事例検討が幼児さんだったこともあり、もう30年近く前になりますが、娘が肢体不自由児の通園施設に通いながらも、地域の幼稚園に行きたいと思い至り、何とか交流をしようとした経験がリアルに思い出してしまいました。
当時の私の願いは、「子どもを幼稚園に通わせたい」でした。
この願いはごくごく自然で、ぜいたくでもないし、他の人たちが宣言したとしたら、かえって「そんな宣言しなくても、普通に行けばいいよ」と言われてしまいそうな、ごくありふれたことです。
しかし、重度の障がいのある子どもに関しては、まったく違う反応が返ってきます。
「そんなことは無理だ」とか「親のわがままだ」とか「子どもに必要な療育を受けられないのでは」とか「他の子たちに負担がかかる」とかいろいろです。
30年近く前に、幼稚園にお願いしに行ったときには、歓迎ムードではなく、厳しい反応ではありましたが、ぐっとこらえて何とか幼稚園に顔を出せることになりました。
しかし、いざ行ってみると子どもたちはとても自然に受け入れてくれましたし、先生たちもとても可愛がってくれて、いい時間を過ごせました。何よりも、娘本人が幼稚園という子どもたちの集団の中で、いろいろなことを感じ取り、成長していく姿を見て、頼もしく思ったことを思い出します。
今回、医療的ケア児の支援体制を地域で作ろうとしている背景には、医療的ケア児という多くの人たちの理解や支援がないと生活が困難な対象にあえて注目し、支援体制を整備するためのコーディネーターを育成することで、どんな障がいや困難がある子どもであっても、当たり前に地域で暮らせる地域づくり(つまりインクルージョンの実現)を推進しようとしているという心意気があるのだろうと私なりに解釈しました。
その試みは、他のどんな人たちにとっても暮らしやすい地域づくりをするための基盤となるはずだからです。
それは、まさに自分自身が約30年前に体験したことと重なりました。
そして、グループワークに参加してみて、障がいがある人が当たり前に暮らそうとすると返ってくる「それは、無理だよ」「そういう障がいがあると難しい」「障がいがある人には○○がある」という反応が30年前も今もほぼ変わっていないことを痛感しました。
ただ、30年前と違うのは、福祉サービスがものすごく増えていることです。そして、福祉サービスが増えたからこそ、専門職が増えたからこそ、「障がいのある子どもはこちら」という雰囲気になってしまった側面もあり、何のための福祉なのか…とモヤモヤが大きくなりました。
11月末に松波さんとともに「社会モデル」「合理的配慮」を考えたので、一人ひとりの権利を考えることの難しさとして年末年始とつながりのある研修の機会でした。
さて、今年度は休眠預金事業が2月末で2年5カ月の事業が終了し、こども家庭庁の補助事業も単年度なので3月いっぱいで終了します。
いずれも、事業報告書をそれなりに作成しようと思っているので、あっという間に年度が終わってしまいそうです。

