日置真世の部屋

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「肢体不自由児者の地域生活のあり方」

「肢体不自由児者の地域生活のあり方」(生活支援ハンドブック)
全国肢体不自由児・者父母の会連合会 平成20年3月発行

はじめに

障がい者を取り巻く制度はここ数年めまぐるしく変わっています。福祉制度は2003年に支援費制度が始まったかと思ったら、3年後の2006年には障害者自立支援法が施行し、一割負担の導入、さらに半年後の10月で大幅にサービス体系が新しくなり、また半年後の4月には利用者負担が見直しになるなど、その変化はきちんと理解することはおろか、ついていくことも難しい状況です。教育でも特別支援教育がスタートしましたが、まだ今後の具体的な見通しはよくわかりませんし、医療では地方の医師、看護師不足が深刻です。また、生活保護制度や年金など社会保障の仕組みは大きく揺らいでいますし、もっと広く社会を見渡してみると地域財政は厳しさを増し、いろいろなところで行財政改革が急がれ、私たちにとっては「福祉は大丈夫なのだろうか?」「私たちの生活はこの先どうなるのだろう?」と不安になる話題がたくさんあります。
しかし、障がい者に対する社会の姿勢や考え方は少しずつ人権を尊重する方向に進んでいると言えます。あらゆる機会から排除された時代から福祉や教育などの障がい児者を守るための仕組みができてきました。制度が徐々に整備されてきました。特別な人として守られる保護的な福祉の発想から一歩進んで、ノーマライゼーションの考えから、障がいは本人の問題ではなく社会との関係性に存在するとする社会モデルの考え方が普及し、ソーシャルインクルージョン という概念で広く様々な分野も含んだ社会全体の在り方についての考えも聞かれるようになりました。かつて、保護的福祉のもとに大規模な施設が作られ、そこで生活することが当たり前だった状況から、今は「施設から地域へ」と政策的な転換が図られています。
さて、そのような流れの中で、実際の障がい児者の生活はどうなっているでしょうか?それほど生活の変化を感じない人もいるでしょうし、一方では、制度の変化によって大きく生活が変わった人もいるでしょう。使えるサービスが増えてとても生活が楽になった人もいるでしょうし、これまで使っていたサービスが使えなくなったり、とてもお金がかかる、手続きや支給方法が変わったことで使いにくくなったりした人もいると思います。
つまり、制度が変化することと障がい児者の生活は必ずしも直結しているわけではなく、事情は一人ひとりの障がいの程度や種類、家族の状況、そして住んでいる地域の資源や行政の取り組みなどによって違っているのです。そういう意味では、制度の変化や社会の状況に応じて地域生活を考えるのではなく、まずはひとりひとりの生活や地域に目を向けることの方が重要なことに気付きます。制度に一喜一憂するよりも、自分たちの生活や地域がどうなればいいのか?また障がいを持つ人たちが望む暮らしはどんなものか?をまず改めて見直すことが大切なのです。そのためには今の制度は具体的にどこが課題で、どうなっていけばよいのかをしっかりと見極めて、行動をしなければなりません。

「今」がチャンスです

2006年にスタートした障害者自立支援法によって地域は今混乱をしています。利用する側にとっては「負担が多くなって大変だし、これから先の姿も見えないので不安」などあまりよくない印象をお持ちの方が多いと思いますが、便利になる面や可能性が広がる面もあります。ただ、一番の課題はサービスを利用する方へ正しい情報が伝わっていないこととあまりにも急に制度が変わってしまったことです。そのため実施する市町村も手続きに忙殺し、苦労しています。ただし、これは言い換えると新しい支援体制、制度はまさに今作られている途中つまり大きな節目の時期にあるといってよいと思います。
だから今この時期が非常に大事なのです。さまざまな社会事情からあらゆる制度が流動的になっていて創り上げる可能性があること、しかも、地域ごとに考えて動くことができる裁量が広がりつつあること、この2点において最大のチャンスといえます。こんな時だからこそ、基本に戻って障がい児者やその家族が本当に望んでいることは何で、そのために誰がどうしていったらいいのか、地域のみんなで共有して一緒に動いていかなくてはなりません。
自立支援制度は全国一律の制度ですが、それぞれの地域でどんなサービスをどれだけ整備していくのかなど細かい中身を決めるのはすべて市町村の役割になっています。皆さんの住んでいるまちそれぞれに可能性を持っています。その可能性を生かすきっかけを作るのは、障がい児者や家族の力にかかっているのです。

事業やサービスをつくるのではく「地域をつくる」

今が大事なことは分かったとして、「じゃあ、一体これからどうしたらいいのか具体的に教えてほしい」と思う人がいるでしょう。でも、「こうしたらいいですよ」という答えは残念ながらありません。だって、障がいがあるからといって一人ひとりの状況は違いニーズも違いますし、地域の事情も違うから、その状況によってどうしたらいいのかは変わってくるからです。でも、ヒントならいくつかお伝えできます。次に、これまで私が実際に取り組んできたいくつかの事例について紹介します。このまま真似をして役に立つとは思わずに、こうした取り組みからみなさんが重要だと思うことを感じ取ったり、これならできそうだと思ったり、何かしらの手がかりくらいにはなるかと思います。
私は北海道釧路市(人口役19万人)に住んでいます。高校1年生の重度の障がい児の親の立場を持ちながら、2000年に仲間と一緒に設立したNPO法人を中心として障がい児者の支援事業にかかわってきました。NPOを設立した当初には福祉サービスを実施することはほとんど想定していませんでした。とにかく自分たちが障がい児を育てていく中で感じてきたことやいろいろな人たちとネットワークを広げる中で気づいた地域の課題に目を向け、自分たちでできるところからみんなと協力して地域づくりをしていく活動をしていました。ところが2007年現在は、釧路市内中心に20以上の拠点を持ち、働く人が100人を超え、利用者が300人を超える大きな事業体になってしまいました。事業も通所事業から就労支援、グループホーム・ケアホームなどの居住の支援、居宅介護や移動支援などの個別サービスと広く、利用者も小さな子どもから高齢者に近い成人の方が利用するものまで多様です。(>>>図1
よく、「どうして、そんなに事業を大きくできたのですか?」と質問されることがありますが、私たちが自ら進んで事業拡大を目指したことはありません。「どんな地域だったら安心できるか」「どんなことで困っているのか」「何とかしたい」という多くの人たちの夢や希望とひたすら向き合っていたら結果としてこうなってしまったのです。そして、よくよく振り返ってみるとこれまでたくさんの地域の様々な人たちとの連携や協働があったからこそここまできたことに気付きます。言い換えると、NPOという事業体がサービスや支援をつくっていったのではなく、地域のいろいろな人たちの思いと協力が事業やサービスを通して地域をつくってきたのです。その過程を紹介することがきっと今後のそれぞれの地域でのヒントになるのではないかと思っています。

まずはみんなで「思い描くこと」〜公開ワークショップの実施

NPO法人になって最初の年の2000年の秋から翌年2001年の秋まで6回にわたって実施した事業に「重度の障がい者の地域生活を考える公開ワークショップ」があります。これは、単なる一つのNPOが主催する何の権限も縛りもない話しあい、学びあい、共有の場でした。当時、全国的に義務教育養護学校に高等部が併設されてちょうど3年目で重度の障がいを持つ人たちが学校を卒業してくる時期でした。地域には重度の方が通えるところはなく、親たちを中心に何とかできないものかと話し合いを重ねたり、市役所にお願いにいったりしていました。また、道内では制度外のパーソナルサービスを提供する事業所がいくつか登場し、釧路でも介護者のレスパイトや本人の社会参加の機会を広げられるような付き添いサービスや預かりサービスへの関心も高まっていて、私たちのNPOもそうした声に応える形で地元の学生さんたちの力を借りた地域生活何でもヘルパー事業を試行し、ニーズの大きさを実感していた頃でもありました。
 そんな時に、まずはいろんな人たちで集まって、釧路がどんな地域になればいいのか?どんなサービスがあれば、安心して障がい児者やその家族が安心して暮らすことができるのか話し合って、夢を描くことが大事なのではないかと思いつき、まずはやってみたのがこの公開ワークショップでした。単なるNPOが勝手に実施する集まりですから、何の強制力もないので、集まる人は日によっては非常に少なかったりすることもありましたが、今考えるといろんな人たちが自主的に気軽に参加してくれて貴重な意見を出してくれ、立場の違う人たち同士のいいコミュニケーションの場になりました。いろんな種類いろんな年齢の障がい児者を持つ親はもちろん市役所の社会福祉課長さん、児童相談書の所長さん、地元企業関係の方、社会福祉協議会の方、養護学校の校長先生、高齢者福祉の地域事業を実践する方など実にいろいろな人が参画してくれました。毎回、一定のテーマを決めて、議論や議論のまとめや勉強をする自由な場でしたが、2つだけルールを決めました。
ひとつは、ワークショップの場ではお互いの立場を抜きにして「一人の住民として参加すること」です。自己紹介は名前だけにして、たとえ普段のお付き合いの中でその人の所属や立場を知っていたとしても、それを話し合いに持ち出さないことにしました。これは、普段から行政の方たちと一緒に話をするときに、どうしても親は市役所の方に目を向けて「市はどう考えるのか?」とか「これからどうするのか?」という追及モードになってしまい、行政の方たちは発言がしにくくなったり、本音を言えなかったり、参加することが嫌になってしまうことが多くあったからです。もうひとつは、ワークショップでの個人の発言はその場限りとして、他の場所や外に引きずらないということです。後で、「あの時、こう言ったじゃないですか」となっては、ある程度の責任のある人たちは率直な思いを語ることができません。あくまでも目的は、釧路をどんな障がいがあっても暮らしやすい地域にすることです。そのためにまずは、それぞれの素直な思いや夢をみんなで語り合うことがもっとも大切だと思ったのです。
これは、予想以上に有意義な集まりになりました。細かいところではそれぞれの立場で考え方や意見が違うこともありましたが、議論し、理解しあい、それをまとめていくことで、だれもが最終的には同じような願いを持っていることが分かってきました。数回の整理や議論で作り上げたのが「釧路地域生活支援総合支援センター構想」です(図2)。

この絵は具体的な事業やサービスで描かれていますが、議論の中では「制度や建物だけではなく、いつでもどこでもという姿勢が大切(コンビニみたいな身近なもの)」「地域に理解してくれる人が増えることが大事」など地域に必要な要素が数多く出されました。
この構想は当時では夢のようなプランでしたが、結果として、夢物語として描いたサービスのほとんどが実現をしています。この数年間で私たちのNPOを含む地域の資源が実現していくことになりましたが、今考えるとこのワークショップでの議論があったからこそ、必要性を確信して実施するにいたったし、実施する上で大切にしてきたこともこの議論の中で出されたことが基本にあることがわかります。当時は地域のNPOとして自分たちのできることは何なのか模索する中で「まずは話し合ってみよう」と取り組んだワークショップでしたが、今となってはすべての事業の礎になったかけがえのない重要な取り組みだったと思っています。まだまだ地域生活支援体制が整っていない地域はまずこうした立場を超えてフラットに思いを共有できる取り組みをすることが大きな意味を持ちます。また、ある程度整ってきたけれど、まだまだ困っている人がいる地域でもいいと思います。ただし、大切なのは、企画や進め方です。強制せず、追い詰めず、いろんな人たちが素直な気持ちを語り合い分かち合い、地域づくりにつなげていける場を設定する知恵と準備が必要です。

サービスを作るのは当事者〜産みの親発サービスづくりの秘密

自立支援法のパンフレットなどでもご存じの方も多いと思いますが、これからの制度については市町村の役割が大きくなっています。支給決定もそうですが、地域の福祉サービスも市町村ごとで作られる障害福祉計画によって計画的に整備が進められることになりました。あらゆる場面で「市町村が責任を持って」という表現が出てくると私たちは一つ勘違いをしてしまいがちです。市町村というのは市役所や役場、市町村長さんのことだと思って「役所が責任を持ってちゃんとしてもらわないと困る」とか「うちの市役所は理解がある」「うちの役場はまったくわかっていない」などと言ってしまうことがありますが、それは間違いです。市町村とは首長さんや役所ももちろんですが、障がい児者やその家族、関係者、企業などその市町村を構成している組織や個人すべてを指しているのです。だから、私たちは市町村の一員として自分たちのできることを考えて実行しなくてはなりません。
 私がこれまでたくさんのサービスができるところに立ち会ってきましたが、確信していることがあります。それは、地域に本当に必要なサービスを生み出すのは行政でも事業者でもなく必ず「困っている当事者」だということです。私たちのNPOにはサービスができる基本スタイルというのがあります(図3)。

 まず、地域のニーズが集まる場や機会をつくります。そこにはまだはっきりとしないもやもやした思いや困りごとが集まってきます。そして、それに対して希望やアイディアやひらめきなども集まります。そしてある時に、すごく困っていて今すぐにでも助けてほしい人が具体的に現れます。その具体的な困っている人が出てきて初めて、集まっていた人たちが真剣に考えて何とかしようと思うわけです。それで、とりあえず何とかする方法をみんなで考え、実行します。制度やサービスがある場合にはすぐにそれを利用すればすみますが、制度やサービスがない場合には、とりあえずでも知恵を出し合ったり、地域の資源(人や機関などあらゆるもの)と協力しあったり、一時的・試行的なものでも何とかします。すると、そのあとに必ず同じように困っている人が表れたり、そのニーズが社会化していき、制度化されたり、支援体制ができたり、ネットワークができたりするのです。
 こう見るとまぎれもなく初めに困っていることを表明してくれた人がそのサービスや資源をつくった「産みの親」となります。私たちが現在実施しているたくさんの事業やサービスのほとんどはこの基本スタイルで誕生しました。
 自閉症の息子さんの毎日の散歩相手を学生さんにしてもらいたいなぁと思ったA君親子が産みの親となって学生の登録ヘルパーシステムからやがて居宅介護へとつながった個別支援の事業は現在140名以上の利用があります(図4)。

また、お母さんが働き続けるために就学後の放課後の預かりがどうしても必要だったB君親子が産みの親になってできた、学齢児の放課後や土曜日、長期休暇の居場所事業も120名以上の利用になっています(図5)。

グループホーム、ケアホームも家族とは一定の距離を置きながら、仲間と一緒に自分たちのペースで生活したい人たちからスタートし、今は3つのケアホームと4つのグループホーム、下宿や一人暮らしなど合計45名あまりの自立生活につながっています(図6)。


 大事なのは、「これが必要」「今困っている」ことに地域のみんなが全力で向き合うことなのです。そのためには具体的なニーズが集まったり、受け止めたりする場が必須です。それは、自立支援法でいうと「相談支援事業」の役割になります。相談支援事業は全国一律の基準ではなくそれぞれの市町村の実情に応じて必ず設置する性質の事業(=地域生活支援事業の必須事業)に位置付けられていますので、それぞれの市町村によって役所の窓口にあったり、事業所に委託をされていたり規模やスタイルは違っています。スタイルによってよしあしは一概に言えませんが、少なくとも上記のように「これが必要」「今困っている」ことを受け止め、全力で向き合う場になっていなければ役割を果たしているとは言えません。ただし、それは相談支援事業がすべてを背負い、抱え込み、頑張ることではありません。あくまでも受け止めニーズを確かにキャッチする役割をしっかり果たすのが相談支援事業所で、実際に困っていることを何とかするのは地域のみんなの力です。みんなの力がうまく発揮されたり、パワーアップしたりするためにはバックアップの仕組みが必要です。それが、今の制度でいうところの「地域自立支援協議会」というわけです。
この2つが、今後の地域の支援体制をつくっていくカギを握るポイントです。一つは「リアルタイムの困り感をしっかりと受け止める場の存在」、もうひとつは「それをバックアップする地域の協働組織」なのです。制度上の基本は前者が「相談支援事業所」、後者が「自立支援協議会」となっていますが、私は必ずしもそうでなくてはならないとは思っていません。地域の中でそうした機能や役割を果たすところがしっかりとあればいいのです。みなさんの地域はどうですか?そうした場や機関はありますか?別にどこか一つである必要もありません。はっきりと「ここだ」とは言えなくても、意外な人や機関などが一部を担っていたりしませんか?また、あの人や機関ならできそうだとか、やってほしいとか逆にやってほしくないとかそういうことはありませんか?地域によって事情は違うはずです。それぞれ考えてみてください。そして、これからどうしたらこの二つの役割が地域でしっかりと機能するのかもイメージしてください。これらがしっかり機能すれば地域生活支援の体制はまず半分は整備されたと思っていいはずです。

本当の「協働」が地域を変える〜会議から共に知恵を出し、汗を流す取り組みへ

少し前から「連携」「協働」という言葉がよく聞かれるようになりました。その名のもとに地域では「会議」「協議会」「委員会」といった会議がやたらに増えるという現象が起こっています。さらに、小さな地域では違った会議なの集まるメンバーは同じということも少なくありません。こうした会議は「協働」とは言えません。時間と手間ばかり取られて、地域の実際の動きを生みだすことが少ないからです。では、本当の意味での「協働」とは何でしょうか?
私たちの地域活動を後押ししてくれた貴重な経験として、「協働」を強く意識した事業があります。釧路支庁 が主催で2000年から2002年まで3年間で取り組んださぽーとねっと21という事業です。上部の会議体と3つのテーマ別の研究会で構成されていて私はファミリーサポート研究会という一つの研究会に関わりました。この研究会はいわゆる手弁当の活動が主でメンバーも活動も非常にフレキシブルなものでした。若干の予算がついていたので、研究会で企画した事業の実行も可能でした。メンバーは私たちのような親や地域の事業者などが中心で、テーマである「ファミリーサポート」つまり障がい児者の家族を支える仕組みについて検討し、事業も実践するものでした。初年度は地域事情や支援の必要性について整理することで終わりましたが、2年目はその整理に基づいて地域のいろいろな関係者を対象にしたフォーラムを開催し、先進地の取り組みについて学び、グループで企画を出し合うコンペも行い意識啓発を促しました。3年目には釧路市よりも取り組みが遅れている周辺の町村へ出向いて「親の休日事業」を地元の関係者を巻き込んで3ヶ所で実施しました。親の休日事業は一日日程のサポーターたちが障がい児者が楽しめるイベントを企画し、必要に応じて送迎も対応することで、その日だけは普段介護をしているお母さんなど家族にゆっくり休んでもらうと同時に障がい児者のみなさんにも楽しい一日を過ごしてもらい、関わる関係者の協力や理解やネットワークづくりも促すという一石三鳥の欲張り企画です。
 この取り組みは実に多くのことを私たちに教えてくれました。まずは行政や関係者と一緒に事業を企画し、準備し、実施することで話し合いだけでは得ることのできない共有意識やお互いの理解が進んだことです。それぞれの立場によって得意なことやできることできないことは違い、それぞれを出し合えば行政だけ、一つの事業者だけ、親だけでできないこともできる実感を得ました。まさしくこれこそ「協働」のリアル体験でした。支庁の担当職員が事務局を担い書類や事業実施の取りまとめ・窓口になってくれました。そして、そんなにたくさんではありませんが予算ももってくれました。私たちは企画を立て、アイディアを出し合い、実際の事業の際には送迎の車を出したり、準備をしたりと実に機能的に協力し合った事業実施ができたのです。まさにネットワーク、信頼関係ができました。
 また、3年目に実施した「親の休日事業」は地域での種まきになりました。それぞれの地域でその事業をきっかけとして、地元の方たちが主体的に継続する事業や動きをつくっています。こうしたつながりも、行政やいろんな方たちと協働で実施したからこそできたのだと思っています。今後は、こうしたリアルな「協働」の実践が地域で蓄積されることもとても重要だと思っています。

もっとも障がいの重い人たちを支える地域へ〜社会福祉法人の立ち上げへ

2000年に地域の人たちと共有し合った総合支援センター構想でいまだ達成していないのが重症心身障がい児・者への支援です。私たちのNPOでもできる範囲で受け入れをしてはいますが、ハード面や手厚い支援体制を作るための基盤面で限界や課題があります。そこで、2006年の春くらいから、釧路に重症心身障がい児者を総合的に継続的に支えていくための新しい受け皿(社会福祉法人)とその第一歩となる通所施設を実現しようと親たちが中心となって活動を開始しています。釧路近郊には肢体不自由児者の親の団体が4つありますが、その4団体が協力し合って実行することになりました。社会福祉法人とは何か?から始まり、理事を引き受けてほしい人たちにあたっては砕け、ようやく親4人を含めた役員11人が決まり、市役所や釧路支庁などとの協議を進め、書類を作り、準備を進めています。このまま順調に進むと2008年秋に法人設立、同時進行で施設建設をして、2009年4月には新しい施設がオープンする計画です。ただし、まだ施設建設のための補助金を獲得するための手続き中で、それが決まらないと実現はしません。目下のところは土地を確保するためなどもろもろの自己資金を集めるために親たちや準備委員のみんなで一丸となっているところです。
 この動きも、当事者が中心となりながら地域のいろんな関係者がバックアップするスタイルで行っているのが特徴です。代表を引き受けてくれたお母さんは「お願いすれば行政がやってくれると思っていた。受け皿があればできると言われれば、誰かが引き受けてくれると思っていた。でも、お願いしても人任せじゃ何も進まない。最初は、そんなことが自分たちの力でできるのか見当もつかなかったけど、自分たちでもできるんだという手応えを感じている」と話してくれました。そして、この機会に役員を引き受けてくれた地元の小児科のお医者さん、歯医者さん、地元企業の社長さん、税理士さん、専門学校の先生、元養護学校の先生はとても熱心に親たちを支えてくれ、それぞれの得意分野で協力をしてくれます。今まであまりつながりのなかった地域の人たちとの接点も増えました。資金集めのために始めた街頭募金活動で市民のたくさんの温かい励ましをもらっています。
 もっとも重度の人たちが安心して暮らせる地域づくりは必ずや誰にとっても安心できる地域につながることを信条に親たちは誰かに頼るのではなく、自主的に前向きに真剣に取り組んでいるのです。

おわりに〜「あきらめないこと」「望み続けること」

障がい児者の地域生活のあり方というテーマですが、どうあればよいのかを決めるのはそこに住んでいる人たちです。現在、全国的に地域による差はあるでしょうが、総体的に見て支援体制が万全に整っているところなんてきっとありません。どこの地域もまだまだこれからです。そこで、大事なのは「こんな地域になってほしい」「これでは困るんだ」という切実な願いと思いの存在です。障がいがあるから仕方ないとか障がい児を育てるのはこんなものだとか我慢するのが当たり前だとか、そんなあきらめが皆さんのまわりにはありませんか?
地域にはまだまだ差別や偏見があるかもしれません。理解のある人たちも少ないかもしれません。行政があまり積極的ではないかもしれませんし、財政も厳しいでしょう。また、支援してくれる法人や事業者もあまりないかもしれません。でも、豊かな地域生活の実現をもっとも阻むのは実は「あきらめ」なのです。逆に望み続ける強い思いさえあれば実現しないことはありません。強い思いは必ず賛同者を得て地域に広がっていきます。もし、うまく理解してもらえないなら意見や立場の違う人たちと話し合いましょう。思いが強いと周囲が見えなくなることもあるからです。そして積み上げられ、練り上げられた願いであればきっとかないます。途中でくじけそうになることや、途方にくれる時ももちろんあります。それでもあきらめないことがこれからは一番大切なのです。
 一人ひとりの思いが集まり、協力し合うことでたくさんの地域がどんな障がい児者にとって暮らしやすい地域になることを願っています。形は一つではありません。どんなサービスがどれだけあれば足りるという問題でもありません。ぜひ、それぞれの地域でもっとも身近な皆さんが意見を出し合い、共有し合い、協働することでつくりあげていってほしいと思っています。